Roots ... 珪酸塩白土はこうして世に広まりました。

珪酸塩白土プロックこの珪酸塩白土は、大正10(1921)年、現在の秋田県横手市出身の鉱山師・熊谷富治氏により発見されました。当時、詳しい調査は行われていませんでしたが、地元では「八沢木白土」と呼ばれ、昔から“秘薬”として人々に使用されていました。
戦後、熊谷氏により八沢木白土が再調査され、その結果「この八沢木白土は天然のゼオライトを含有しているモンモリロナイト粘土で、かなり優良な粘土鉱物である」ことが判明しました。
このモンモリロナイト粘土は、外国では「千の用途を持つ魔法の粘土」と呼ばれる、世にも不思議な粘土です。

昭和31年5月の「通産省工業技術院地質調査所」による『秋田県横手及び八沢木白土調査報告書』では、“本邦稀有な沸石を含む粘土であることが判明し、その粘土の利用方面の研究は着々と続行されている。”と調査結果を発表された経緯があります。その後、学術研究と現地調査が重ねられた結果、モルデン系及びクリノフチロル系のゼオライトを含有していることが確認されました。
Million 1 kgこのモルデン系及びクリノフチロル系ゼオライトは、高いイオン交換容量、交換性塩基含量を持っている鉱物成分であり、土壌改良に適していることが確認されています。

その後、当時、東京の晴海在住であった谷村静江氏とともに「家庭園芸用 ミリオン」の商品化が手がけられました (右写真)。そして「家庭園芸用 ミリオン」は種苗会社のご理解とご協力を賜り、また、園芸研究家や花卉愛好家の語り伝えによる「口コミ」の力も大きく、多くの方々の力により、世に伝わり、広まるようになりました。


珪酸塩白土の発見者 熊谷富治氏のプロフィール

  熊谷 富治(くまがい とみはる)
  • 明治23年2月2日生まれの鉱山師。
  • 弱冠17歳の時、秋田県雄勝郡にあった院内銀山に入職したのを皮切りに「鉱業」と切っても切れない縁を持つこととなる。
  • 明治42年4月、秋田県山本郡の八森銀山に2等抗夫として入山した。それから3年半の間、鉱山技師の田中某なる研究者から探鉱調査法や測量などの専門知識および専門技術を習得。
  • 地質鉱物資源の探査開発に優れた才能を持ち、金・銀・銅を埋蔵する数々の鉱山を発見した。
  • 大正5年に、当時、日本近代鉱物史上最大級の大金鉱「鴻之舞金山」を発見。その後、東北各地の路査を手がけ、昭和8年に秋田県の高柴金山、昭和14年に同県の宮田銅山、また、昭和17年に山形県の神室銅山等を発見した。

彼が以前(大正10年)八沢木山中を歩いている際に、喉の渇きを潤す為に飲んだ岩清水の味が「他の地域で飲んだ水の味とで明らかに違った」との記憶により、終戦後に改めて八沢木の地層を調べて「日本にはないものと考えられた天然の形でゼオライトを含有しているモンモリロナイト粘土」と判明。これが「珪酸塩白土」を世に送り出すきっかけとなりました。

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